| 1980年 | ||||
| 62 | 1980.1 | 国際開発の哲学 | 青木達雄 | 台湾の政治犯を救う会幹事 |
| 中南米雑感 | 荒川博人 | 海外経済協力基金 | ||
| マスカットの本屋のぞき | 北村美都穂 | 日揮 | ||
| 西部ジャワの子供達 | 尾村敬二 | アジア経済研究所 | ||
| 63 | 1980.2 | 「南」の人達と付き合って | 奈須俊和 | アジ銀鉱工業課 |
| 台湾独立の論理 | 青木達雄 | 台湾の政治犯を救う会幹事 | ||
| 雑感 | 内村良根 | 世銀セントラルポリシースタッフ | ||
| 64 | 1980.3 | 宗教と国際開発 | 高橋一生 | OECD DAC事務局 経済開発部 |
| 「ニジェール日記」より | 矢島克輔 | アラビア石油 | ||
| 65 | 1980.4 | 南北対話の一視点 | 堀内伸介 | 外務省経済協力局 |
| 宗教と国際開発(2) | 高橋一生 | OECD 事務総長室 | ||
| 66 | 1980.5 | 「お雇い外人」とテクノロジー・トランスファー | 平木俊一 | 国際開発センターセミナー講師 |
| 1980年のラテンアメリカ開発プロジェクトへの−展望 | 武部 昇 | (財)国際開発センター 研究員 | ||
| 67 | 1980.6 | 皆さんそうぞよろしく | 青沼 浄 | 貿易研修センター 助教授 |
| エレキ二題 | 加賀美充洋 | アジア経済研究所 | ||
| 68 | 1980.7 | ヨーロッパの歴史感覚 | 江口雄次郎 | 野村総合研究所政策研究部 主任研究員 |
| 異文化との接触について−1− | 小倉正城 | OECF 業務二部二課長 | ||
| 専門家の役割 | 和田 巌 | アジア開発銀行 | ||
| 69 | 1980.8 | 技術移転とコミュニティ・ディベロップメント | 江崎弘造 | フィリピン窯業研究開発センター |
| 異文化との接触について−2− | 小倉正城 | OECF 業務二部二課長 | ||
| 「反近代論」と途上国援助 | 原岡直幸 | 経企庁経済協力一課 | ||
| 海のむこうから | 木内 嶢 | 日本長期信用銀行 ニューヨーク市 駐在 | ||
| 70 | 1980.9 | 社会の技術受容力解明への方法論的アプローチ | 中野幸紀 | 通産省 産業構造課 |
| 新入りです,どうぞよろしく。 | 磯谷計嘉 | 三井東圧化学 | ||
| 発展途上国の見方 | 谷口興二 | 国連エスカップ コンサルタント | ||
| 海のむこうから | 今村栄三郎 | アルジェリア | ||
| 71 | 1980.10 | 戦い(5)・休養(1):思考(1)のリズム | 高瀬国雄 | ADB 農林水産部次長 |
| アルジェの街の名前 | 北村美都穂 | 日揮 | ||
| 我が国の開発援助に対する評判 | 斉藤 優 | 中央大学経済学部教授 | ||
| 72 | 1980.11 | 軍事政権と経済開発 | 黒子猛夫 | 仙台通商産業局長 |
| セントルイスでの体験−自己紹介にかえて | 白須 孝 | (財)国際開発センター 研究員 | ||
| 奇妙なインセンティブ | 塩沢文朗 | 通商産業省 | ||
| 73 | 1980.12 | 工業標準化と開発問題への応用 | 田村修二 | 工業技術院 電気規格課長 |
| 適格労働力研究の事始め | 鳥居泰彦 | 慶応大学経済学部教授 | ||
| タイを訪問して−心暖まる出会いと醜い日本人− | 山口真一 | 日揮 | ||
| 1981年 | ||||
| 74 | 1981.1 | 新年の挨拶にかえて | 大来佐武郎 | 名誉会長 |
| タイを訪問して−心暖まる出会いと醜い日本人− その2 | 山口真一 | 日揮 | ||
| 75 | 1981.2 | ものの見方、考え方−メキシコと日本の違い− | 竹内健二 | 川崎重工業 |
| 「適正技術」について議論しませんか | 三木常靖 | (財)国際開発センター | ||
| SRIDとの出会いとこれからの抱負 | 川又成信 | 石川島播磨重工業 | ||
| 76 | 1981.3 | 政府予算制約式と80年代 | 栗原史郎 | 動力炉・核燃料開発事業団 |
| 技術協力−人造りと組織造り− | 谷口興二 | アジア経済研究所 バンコク派遣員 | ||
| 小麦の川と米の山 | 野中邦高 | 開発経営研究所 | ||
| 77 | 1981.4 | 幻想交響曲あらかると | 友永剛太郎 | 野村総合研究所主任研究員 |
| 支社のない総合商社 | 青柳 正 | 三井物産梶@自動車部 | ||
| 二冊の本 | 霜弘太郎 | 筑波大学社会工学系教授 | ||
| 78 | 1981.5 | 水と光と風のリズムの中で(1) | 後藤一美 | OECFジャカルタ |
| 国連人間居住委員会の活動 | 春田尚徳 | 国連人間居住委員会 | ||
| データをして語らしめよ | 横井 満 | 電電公社 | ||
| 79 | 1981.6 | 代表幹事就任の件 | 北村美都穂 | 立教大学経済学部 非常勤講師 |
| 水と光と風のリズムの中で(2) | 後藤一美 | OECFジャカルタ | ||
| 熱帯森林資源の減少と更新の問題(1) | 有原元博 | |||
| 80 | 1981.7 | 日本型経営技術の移転について −ある経験からの感想 | 矢島克輔 | アラビア石油 |
| 「一期一会」と交配の楽しみ | 御船 昭 | 帝人 | ||
| 熱帯森林資源の減少と更新の問題(2) | 有原元博 | |||
| 81 | 1981.8 | 省エネルギー 国際協力のすすめ | 奈須俊和 | 通産省 |
| カイロ・三度目の新春 −北の国・南の国− | 今井 正幸 | OECFカイロ | ||
| ニュースレター雑感 | 高瀬国雄 | ADB | ||
| 82 | 1981.9 | 中国と日本 | 張 寿華 | 日立製作所 |
| 発展途上国におけるバイオマス資源利用 | 田中正躬 | 資源エネルギー庁 | ||
| カイロ・三度目の新春 −北の国・南の国− (その2) | 今井正幸 | OECFカイロ | ||
| 83 | 1981.10 | 途上国の貧困を知ろう | 積田 和 | 慶應義塾大学 大学院 |
| 国際機関におけるリサーチの新領域−途上国の資本財産業− | 長尾真文 | UNCTAD | ||
| 84 | 1981.11 | 多民族社会を日本に見る | 平 恒次 | イリノイ大学教授 |
| 知恵と技術協力とSRID | 酒井康雄 | JOCV | ||
| 新・再生エネルギー国連会議・報告(その1) | 和田正武 | 新エネルギー開発機構 ワシントン事務所 |
||
| 85 | 1981.12 | 国内の南北問題について | 黒子猛夫 | 日本シリコン |
| プランニングこそ時代の要請 | 畔上統雄 | プランドエンジニアーズ゙ | ||
| 新・再生エネルギー国連会議・報告(その2) | 和田正武 | 新エネルギー開発機構 ワシントン事務所 | ||
| 1982年 | ||||
| 86 | 1982.1 | 「アイヌ・和人連合モシリ」構想(続) | 平 恒次 | イリノイ大学教授 |
| ドイツで考えたこと | 橋本久義 | 通産省工業技術院 | ||
| バグダットの「発展途上ホテル」 | 北村美都穂 | 立教大学経済学部非常勤講師 | ||
| 87 | 1982.2 | コンサルタント業拾年 | 三上良悌 | ユニコインターナショナル且ミ長 |
| 体験的異質文化論:イランの稲作とイスラーム教 | 鈴木敏央 | (財)国際開発センター 研究員 | ||
| 国連・第2回熱帯森林専門家会議 | 有原元博 | |||
| 88 | 1982.3 | NIEOの経済学:序章 | 小島祥一 | 経済企画庁 UNCTAD派遣 |
| パリ時代に会ったカンボジアのN氏のこと | 勝俣 誠 | 貿易研修センター専任講師 | ||
| プレビッシュ博士の近況 | 阿部巳喜雄 | JETROブエノスアイレス事務所 | ||
| 89 | 1982.4 | 国際人養成研修の現場から | 青沼 浄 | 貿易研修センター 助教授 |
| ロ−カル・コストの痛み | 藤村建夫 | 国際協力事業団 | ||
| 私、体力はあります | 森田浩仁 | 新エネルギー総合開発機構 | ||
| 90 | 1982.5 | ADBに日本人の積極的参加を | 須磨和章 | 須磨事務所 |
| 日本の世界戦略について | 沼田道正 | 国際協力事業団 | ||
| 立て前と本音(実情)と恥の文化 | 田井稔三 | 日本工営マニラ事務所 | ||
| 91 | 1982.6 | 命短し恋せよ乙女−”How to Live in OECF Jakarta Office”忘備録− | 後藤一美 | OECF総務部 |
| 第2の中進工業国へ−外資誘致への政策転換− | 斉藤光雄 | UNIDO東京事務所長 | ||
| 幕間にて | 友永剛太郎 | 東海大学教授 | ||
| 92 | 1982.7 | あるバイリンガルのはなし | 中内恒夫 | 国連ESCAP開発計画部長 |
| カントリースペシャリスト養成は急務 | 尾村敬二 | アジア経済研究所 | ||
| 経済協力雑感 | 原岡直幸 | 通産省 | ||
| 93 | 1982.8 | 先端技術と登山 | 吉海正憲 | 埼玉大学大学院 助教授 |
| マイコン・サンデー | 池田 誠 | 地域振興整備公団 | ||
| 近況報告−京浜工業地区の最近の変貌− | 倉又 孝 | 竃村総合研究所 | ||
| 94 | 1982.9 | 第4回SRIDシンポジウム開催される | 今井正幸 | OECF |
| 「地域研究」のゆくえ | 碓氷 尊 | 筑波大学社会工学系 教授 | ||
| 転職 | 横井 満 | 工学院大学 教授 | ||
| 95 | 1982.10 | 金を出す人;ともに使う人 | 江崎弘造 | 新エネルギー総合開発機構理事 |
| マニラの停電 | 栗原史郎 | 資源エネルギー庁火力課 | ||
| 自動二輪と知り合って | 川又成信 | 石川島播磨重工業 | ||
| 海外だより | 鳥山正光 | ESCAP バンコク | ||
| 96 | 1982.11 | 技術協力と途上国のニーズ | 堀内伸介 | 経済協力局技術協力第二課長 |
| 最近感じること | 小野直樹 | 外務省アジア局南西アジア課 | ||
| 経済援助における日米協力(その1) | 上原セシル英男 | 日米関係コンサルタント | ||
| 97 | 1982.12 | 技術協力のソフトウェアを考える | 藤村建夫 | 国際協力事業団 技術者養成確保課 |
| もう一つの夢 | 友永剛太郎 | 東海大学教授 | ||
| 経済援助における日米協力(その2) | 上原セシル英男 | 日米関係コンサルタント | ||
| 1983年 | ||||
| 98 | 1983.1 | 最近の南北問題の特色 | 宍戸寿雄 | 国際大学 副学長 |
| 援助の世界と政治力 | 荒木光弥 | 国際開発ジャーナル代表取締役 | ||
| 途上国経験のないものとして | 三上恒生 | 日本工営 | ||
| 99 | 1983.2 | アメリカの保守派 | 木内 嶢 | 横浜国立大学非常勤講師 |
| 日本のR&Dの現実 | 吉海正憲 | 埼玉大学大学院政策科学研究科 助教授 | ||
| 発展途上国の地域社会におけるエネルギー問題 | 有原元博 | |||
| 100 | 1983.3 | SRID.この不思議な団体 | 北村美都穂 | 日揮 |
| 教育ママ 非行 発展途上国協力 | 橋本久義 | 中小企業庁 技術課 | ||
| 技術協力のメッカ 筑波研究学園都市 | 大嶋清治 | 通産省 研究業務課 | ||
| 101 | 1983.4 | スハルト4選を考える | 尾村敬二 | アジア経済研究所 |
| 国際開発への祈念 | 小林純子 | 国際開発への祈念 | ||
| 技術協力プロジェクトの現況 | 神田道男 | 国際協力事業団 マニラ事務所 | ||
| 第8回懇談会報告 | ||||
| 102 | 1983.5 | 会長就任の夢 | 三上良悌 | ユニコインターナショナル且ミ長 |
| 青い鳥は何か | 江崎弘造 | 新エネルギー総合開発機構 理事 | ||
| 日本国際派のサロン | 高瀬国雄 | ADB農林水産部次長 | ||
| 第10回年次総会報告 | ||||
| 103 | 1983.6 | 新米エコノミストのつぶやき | 積田 和 | 慶應義塾大学 研究生 |
| 税金は有意義に使うべし | 米川佳伸 | UN/DTCD | ||
| 17時間後からの便り | 塩沢文朗 | 通商産業省 | ||
| 104 | 1983.7 | Regional Developer の反省点 | 加藤光弘 | 地域振興整備公団 |
| 台湾の民俗(1) | 青木達雄 | 台湾協会会員 沖縄国際交流財団賛助員 | ||
| アフリカの学生は日本のどこを知りたいか | 勝俣 誠 | 貿易研修センター 助教授 | ||
| 105 | 1983.8 | バクダット雑感 | 白須 孝 | (財)国際開発センター |
| 信託銀行と発展途上国 | 堅田憲弘 | 住友信託銀行 | ||
| UN・ESCAP事情 | 鳥山正光 | UN・ESCAP事情 | ||
| 106 | 1983.9 | 第5回SRIDシンポジウム記録 | 横井 満 積田 和 |
シンポジウム幹事 |
| 第3回懇談会報告 | ||||
| イメージについて | 辻岡政男 | 青年海外協力隊 調整員 | ||
| 107 | 1983.10 | 青年海外協力隊に想うこと | 酒井康雄 | 国際協力事業団 |
| 白象探訪記 | 加賀美充洋 | アジア経済研究所 | ||
| 自己紹介 | 遠山義和 | 人事院 任用局 | ||
| 108 | 1983.11 | 日仏発想の違い−職業教育問題を通じて− | 中野幸紀 | 工業技術院 計画課 |
| マレーシアと私 | 保科秀明 | 法政大学 建築科 講師 | ||
| 雨ニモマケズ,風ニモマケズ | 有原元博 | |||
| 懇談会報告 | ||||
| 109 | 1983.12 | マニラでの4年半を振り返って | 和田 巌 | JICA派遣専門家 |
| 国際大学押しかけ懇談会報告 | ||||
| 民間開発協力の道を求めて | 出射優行 | アジア草の根協力会 | ||
| SRID在ワシントン会員近況 | 在ワシントン会員 | |||
| 1974年 | ||||
| 110 | 1984.1 | 1984年年頭に当たりて | 大来佐武郎 | |
| 新年に寄せて | 在ワシントン会員 | |||
| 111 | 1984.2 | 価値観の相互理解 | 江崎弘造 | 新エネルギー総合開発機構 |
| 開発最前線のマニラから | 在マニラ会員 | |||
| 112 | 1984.3 | 小さい村の小さいプラントの話 | 北村美都穂 | 日揮 |
| 新年会報告 | ||||
| 発展途上国と中小工業開発 | 橋田篤毅 | アジア開発銀行 | ||
| 113 | 1984.4 | サンチャゴ便り | 高宮一喜 加賀美充洋 |
|
| SRID婦人クラブについて | 企画担当幹事 | |||
| 懇談会記録 | ||||
| 114 | 1984.5 | アメリカ人に日本経済を語る4つのポイント | 勝俣 誠 | 貿易研修センター |
| 評価(EVALUATION)について | 三上恒生 | 日本工営 | ||
| ブラジルのサッカー | 池田誠 | 地域振興整備公団 | ||
| 115 | 1984.6 | 正夢と安全保障 | 三上良悌 | ユニコインターナショナル且ミ長 |
| SRID,横断集団の義理と人情 | 今井 正幸 | 海外経済協力基金 | ||
| 牛をおいだすべきか?それとも,牛をとりこむべきか? | 有原元博 | |||
| 第11回年次総会報告 | ||||
| 116 | 1984.7 | 技術と文化の国際ネットワークの構築を −21世紀への貴人の義務 | 小林 一 | 地域振興整備公団 |
| 「正夢と安全保障」に思う | 小林純子 | 通産省 特許庁 | ||
| SRID婦人クラブの設立 | 藤村建夫 | |||
| 第3回懇談会報告 | ||||
| 117 | 1984.8 | 巨大科学技術と発展途上国 | 和田正武 | 科学技術庁原子力局 |
| 発展途上国の開発と環境問題−最近の動向− | 島田 仁 | 新エネルギー総合開発機構 | ||
| アルゼンチン狂騒曲 | 木内 嶢 | 日本長期信用銀行調査部 | ||
| 118 | 1984.9 | 一経済協力案件としての−水力発電プロジェクトの特徴 | 高島賢二 | 海外経済協力基金 |
| 第6回SRIDシンポジウム記録 | ||||
| 第4回懇談会記録 | ||||
| 119 | 1984.10 | アンベードカルの生涯について | 前田佑一 | 新エネルギー総合開発機構 |
| 「発展途上国」と」「低開発国」 | 田中隆之 | 日本長期信用銀行調査部 | ||
| 戦略的ODAの展開について | 沼田道正 | 国際協力事業団 | ||
| 120 | 1984.11 | 10年後のアジア・太平洋諸国と日本の役割 −SRIDシリーズ懇談会基調報告− | 大来佐武郎 | |
| シルクロード一人旅 | 小林純子 | 通産省 特許庁 | ||
| SRID婦人クラブからのお願い | ||||
| 121 | 1984.12 | 嗚呼シャワーカーテン | 青沼 浄 | JICA測量専門家 |
| アラン・アランは敵か味方か | 有原元博 | |||
| 元事務局長萩原(松本)純子さんからの手紙 | ||||
| 1985年 | ||||
| 122 | 1985.1 | 第2の10年を迎えるSRID | 島田 仁 | |
| 村レベルの国際交流促進の提案 | 鳥山正光 | 国際開発センター | ||
| シリーズ懇談会 第2回記録 | ||||
| 123 | 1985.2 | 夢の実現 −RTPの教訓 | 池田 誠 | 地域振興整備公団 |
| カルカッタの幻想 | 重田康博 | 日本貿易振興会 | ||
| シリーズ懇談会 第3回記録 | ||||
| SRID新年会開催される | ||||
| 124 | 1984.3 | 一人よがりの「地球コミュニティ会議‘84マレーシア」 | 松本 洋 | (財)国際協力推進協会専務理事 |
| 「最後の楽園」 | 長谷川祐弘 | UNDP南太平洋東部地域常駐代表 | ||
| タイの反日感情について | 三上良悌 | |||
| シリーズ懇談会 第4回記録 | ||||
| 125 | 1985.4 | ウルグアイの紙パルプ産業開発における日本の技術協力 | 三上隆仁 | ウルグアイ技術研究所名誉技術顧問 |
| 累積債務国の政治変革にも関心を | 堀坂浩太郎 | 上智大学外国部学部 | ||
| 自己紹介 | 西ヶ谷邦正 | IDCJ主任研究員 | ||
| 126 | 1985.5 | 半世紀振りの対面 | 池田紀久男 | 日本工営梶@社長 |
| 遠い国ニッポン | 小野直樹 | (財)国際開発センター | ||
| 127 | 1985.6 | 日中開発協力雑感 | 斎藤 優 | 中央大学経済学部教授 |
| SRID第12回年次総会議事録 | ||||
| 128 | 1985.7 | 海外援助は男のロマン | 須磨和章 | 叶{磨事務所代表取締役 |
| ナイロビSRID報告 | 島田 仁 | |||
| 129 | 1985.8 | ちかごろの関心事項など | 山岡喜久男 | 早稲田大学教授 |
| 第1回SRID懇談会報告 | 中野幸紀 | |||
| 130 | 1985.9 | 空港プロジェクトと経済発展 | 蛎崎広義 | 鞄本空港コンサルタンツ主任研究員 |
| 模索する南北対話 | 高橋一生 | OECD、DAC事務局 | ||
| 131 | 1985.10 | 経済発展研究の新方向 世銀のニュー・リサーチ・プライオリティー | 鳥居泰彦 | 慶應義塾大学経済学部教授 |
| セネガル見聞考 (たった10日間の印象記) | 小林純子 | 通商産業省 特許庁審査官 | ||
| 1985年SRID夏期シンポジウムの報告 | 保科秀明 | 国際連合 地域開発センター | ||
| ASEAN諸国向けコンピュータ支援翻訳システムの研究開発 | 中野幸紀 | 通産省 | ||
| 132 | 1985.11 | 国際開発についての4つの視点 | 秋月良彦 | 住友信託銀行 調査部 |
| 第2回SRID懇談会報告 | ||||
| 133 | 1985.12 | バングラデシュについての私見 | 水上博雅 | 中央開発 |
| 田舎と途上国 | 中内恒夫 | 国際基督教大学教授 | ||
| 技術貿易面からみたフランスの国際競争力 | 中野幸紀 | 通産省 機械情報産業局 | ||
| 1986年 | ||||
| 134 | 1986.1 | 1986年を迎えて | 三上良悌 | |
| 第3回SRID懇談会報告 | 中野幸紀 | |||
| 135 | 1986.2 | ODA雑感 | 河合三良 | (財)国際開発センター理事長 |
| ふるさと雑感 | 田井稔之 | 日本工営梶@企画開発本部 | ||
| 今後の国際社会における国連大学の役割と日本 | 栗原史郎 | 中小企業事業団 技術開発課長 | ||
| アジア大都市人間環境会議に出席して | 三上恒生 | |||
| 1986年SRID新年会報告 | 加藤光雄 | |||
| 136 | 1986.3 | 一幹事の懺悔録 | 木内 嶢 | |
| アルゼンチンからの報告(第5回SRID懇談会報告) | 中野幸紀 | |||
| 137 | 1986.4 | 人口問題雑感 | 萩原孝一 | UNIDO 東京事務所 |
| 経済開発の多面性 | 渡部 潔 | 国際開発センター | ||
| 村レベルの国際交流(SRIDA計画)実現 赤城村からの報告 | 重田康博 | |||
| 研修生たちからのコメント | 研修生 | |||
| 村レベルの国際交流に参加して | 小林純子 | |||
| 138 | 1986.5 | 日本的経営技術とはいったい何か | 福島和伸 | 立正大学経営学部非常勤講師 |
| 最近の“人造り”国際会議の話題 | 藤村建夫 | 国際協力事業団 国際協力総合研修所 | ||
| 標準化技術協力について | 塩沢文朗 | 通産省 工業技術院 | ||
| 139 | 1986.6 | テクノロジー・トランスファーの現場と貿易摩擦 | 張 寿華 | General Electric Technical Service Co.,Ltd |
| 映画と語学 | 原岡直幸 | 通産省産業政策局 | ||
| SRID第13回年次総会議事録 | ||||
| 140 | 1986.7 | はじめまして−アジア青年のご挨拶 | 間島徳治郎 | 海外経済協力基金 調査一課 |
| 不思議の国のアリスの覚え書 −日本の援助行政について今再び | 後藤一美 | 海外経済協力基金 世界銀行出向 | ||
| 141 | 1986.8 | 技術の不確実性 | 三藤利雄 | (財) グリーン・ジャパン・センター |
| アセアンの人造り −日本援助行政について今再び |
田村修二 | 埼玉大学大学院 政策科学研究科 | ||
| 142 | 1986.9 | アジア途上国における民間開発運動 | 坂本紀子 | |
| 国際的規制のある一面について | 大野祐司 | 運輸省海外技術安全局 | ||
| 1986年SRID夏期シンポジウム報告 | 小林 一 | 地域振興整備公団 | ||
| 143 | 1986.10 | 南スマトラの焼畑農民 新・雨ニモマケズ、風ニモマケズ | 有原元博 | |
| 発展途上国の人々にとって真に幸福な開発とは | 境 純哉 | コスモ・インターナショナル | ||
| 144 | 1986.11 | 計画的市場経済化の中国の労働事情 | 森田 実 | 政治評論家 |
| 沖縄の経済開発に思う | 平 恒次 | イリノイ大学教授 | ||
| 『シンポジウム 日中協力を考える』報告 | 田村修二 | 埼玉大学教授 | ||
| 第4回懇談会報告 | ||||
| 145 | 1986.12 | 2.5次元の国際化−ある国際担当官の悩み | 栗原史郎 | 通商産業省 工業技術院 |
| SRID公開研究会『民間開発協力(NGO)と政府間開発援助(ODA)の相互協力のための基礎研究』プロジェクト | 坂本紀子 | |||
| 1987年 | ||||
| 146 | 1987.1 | 次世代に向けての途上国との産業協力 | 斉藤光雄 | 国連UNIDO東京事務所 |
| 円高と貿易 | 川口順子 | 通商産業省 大臣官房 | ||
| 第6回 懇談会報告 | 中野幸紀 | |||
| 147 | 1987.2 | ハイテク・ブームの中で | 板谷憲次 | 日本輸出入銀行調査部 |
| 1987年 SRID新年会報告 | 萩原孝一 | |||
| 公開勉強会(わが国の経済協力の改善のために)報告 | 間島徳冶郎 | |||
| 148 | 1987.3 | 国際大学の国際化 | 宍戸寿雄 | 国際大学 教授 |
| 第7回 懇談会報告 | ||||
| 149 | 1987.4 | 産業構造の転換の進行と技術移転 | 黒子猛夫 | 三菱金属 |
| 金融の自由化・国際化と政策金融の役割 | 高田直規 | 日本輸出入銀行 | ||
| 国際農業協力従事者の呟き | 近藤敏夫 | 且O菱総研 | ||
| ★開き直りのタペストリー | ||||
| 150 | 1987.5 | 21世紀の中部圏計画と国際協力 | 池田 誠 | 且O菱総研 |
| 地方における国際化についてー八戸ではいまー | 加藤光弘 | 地域振興整備公団 | ||
| 懇談会報告・国際パソコンネット実践教室 | 中野幸紀 | |||
| SRID−A,B,C,---------- | 鳥山正光 | |||
| 総会報告 | 掘坂浩太郎 | |||
| ★5月の鯉 | 田村修二 | |||
| 151 | 1987.6 | 最近の途上国研究事情 | 加賀美充洋 | アジア経済研究所 |
| 『経済協力問題研究会』の発足決まる | ||||
| ★ZOPA | ||||
| 152 | 1987.7 | マルチ開発協力の行方 | 碓氷 尊 | UNIDO調査研究部長 |
| VITAの活動−−電子技術の活用も | 横井 満 | 工学院大学 教授 | ||
| 海外コンサルタント業と私 −実務経験をいかしたい− | 升村章司 | 中央開発インターナショナル | ||
| ★東京ミリオネアへの期待 | ||||
| 153 | 1987.8 | 技術移転に地域研究の裏づけを | 室中 善博 | 千代田化工建設 |
| アジア人に自由な選択を−援助に必要な国際政治感覚− | 青柳 正 | 日本移動通信 | ||
| 懇談会報告 | 栗原史郎 | |||
| ★時間軸のスケール | ||||
| 経済協力問題研で議論白熱 | ||||
| 154 | 1987.9 | 差別問題に見る日米間のギャップ | 尾村敬二 | The Institute for Sino |
| 技術移転フレームワーク | 谷口興二 | アジア経済研究所 | ||
| 久しぶりにネパールを訪問して | 中島 寛 | 日本長期信用銀行 | ||
| SRID夏期シンポジウムの報告 | 板谷憲次 | |||
| ★技術移転と神々の移転 | ||||
| 155 | 1987.10 | アフリカの印象 | 丸山 裕 | ユニコ・インターナショナル |
| 微笑みの国から | 甲斐信好 | Forum for Fair Society | ||
| ★国際化の波がやってくる | ||||
| 156 | 1987.11 | 後衛の復権−森林か官の目から見た技術協力 | 佐藤雄一 | JICA林業開発課 |
| パソコン(ワープロ)通信と国際協力 | 水上博雅 | |||
| 海外だより | 藤村建夫 | |||
| ★f(人間、技術)=文化 | ||||
| 157 | 1987.12 | 円高旋風の年末によせて | 小浜裕久 | 静岡県立大学国際関係学部 |
| 途上国問題にパソコン(ワープロ)通信を | 三上良悌 | |||
| 時代はテレ・コンピューティング−電子フォーラム参加への道− | 中野幸紀 | |||
| ★コンピュータマニファクチュアリングの一側面 | ||||
| 1988年 | ||||
| 158 | 1988.1 | 人類史の新紀元、一九八八年 | 高瀬国雄 | 国際開発センター |
| スピーク・アップ・ジャパン | 橋本日出男 | 世界銀行 中東局 | ||
| ★幸せの基準 | ||||
| 『インドの生活と宗教について』印象記 | 松下立子 | |||
| 海外だより | 尾村敬二 | |||
| 159 | 1988.2 | 四つの願い−途上国の立場から− | 安積発也 | アジア開発銀行 |
| 国際援助動向昨今 | 河野善彦 | OECF パリ主席駐在員 | ||
| 新年会報告 | 萩原孝一 | |||
| ★両極端な生活様式の語るもの | 斎藤 優 | |||
| 160 | 1988.3 | 「公」・「私」について | 小椋紹也 | マーテック |
| 果して地球を丸く見ているか | 堀坂浩太朗 | 上智大学助教授 | ||
| 懇談会報告 | 池田 誠 | |||
| 精神文化理解への橋づくり | 江崎昌恵 | |||
| ★中古自動車の嘆き | ||||
| 161 | 1988.4 | 国際経済と知的所有権 | 御船 昭 | 帝人 |
| 歴史の転換と視点 | 武部 昇 | 国際開発センター | ||
| *長期休暇のすすめ | ||||
| 海外だより | 河野善彦 | |||
| (SRID歴史探訪) | 永塚康子 | |||
| 162 | 1988.5 | 地域振興のための三条件 | 奈須俊和 | 地域公団 |
| 応援します中小企業の明るい未来 | 大嶋清治 | 通商産業省 | ||
| 第15回年次総会報告 | 近藤敏夫 | |||
| *地方における国際交流の活性化 | ||||
| 海外だより | 坂本紀子 | |||
| 163 | 1988.6 | 戦略的ODAについて | 沼田道正 | 国際協力事業団 |
| 自由時間の拡大について思う | 川島 昇 | 地域振興整備公団 | ||
| *難民・募金・こどもの風景 | ||||
| 第1回懇談会報告 | 木内 嶢 | |||
| 164 | 1988.7 | パワーとアキレス腱のはざま ―“在日豪州人”化のすすめ− | 渡辺千仭 | 工業技術院技術調査課 |
| 新しい決意 | 高千穂安長 | 三井銀総合研究所 | ||
| 第2回懇談会報告 | 武部 昇 | |||
| *ゆとりを考える | ||||
| 165 | 1988.8 | 国境 | 北村美都穂 | 日揮 |
| ODAと労働組合 | 初岡昌一郎 | 国際郵便電信電話労連 | ||
| 『地球益』を求める行動を | 松下和夫 | 環境庁長官官房国際課 | ||
| 第3回懇談会報告 | 沼田道正 | |||
| *マキドーラこぼれ話 | ||||
| 166 | 1988.9 | インフラ部門援助のソフト化:電力の場合 | 長尾真文 | 笹川平和財団 |
| 「国際協力村」を離れて感じたこと | 三上恒生 | 日本工営 | ||
| 1988年SRID夏期シンポジウム報告 | 堅田憲弘 | |||
| 第4回懇談会報告 | 沼田道正 | |||
| *世銀スタッフのイライラ | ||||
| 167 | 1988.10 | 援助の顔 | 佐々木篤 | OECD開発協力局 |
| 新たな多国間援助体制を求めて | 大野 泉 | 世界銀行 | ||
| 第5回懇談会報告 | 木内 嶢 | |||
| *三上氏の提唱に思う | ||||
| 八ヶ岳高原から皆様へ | 間島徳次郎 | |||
| 168 | 1988.11 | Think globally, act locally 「地域からの国際化セミナー」に出席して | 倉又 孝 | 三井銀総合研究所 |
| ヒマラヤの登山鉄道 | 湊 直信 | 第一勧業銀行 | ||
| 第6回懇談会報告 | 武部 昇 | |||
| *温故知新 | ||||
| 169 | 1989.12 | 島から省へ、そして中国で最大の経済特区へ−海南島への開発− | 白須 孝 | (財) 国際開発センター |
| 複合化時代の到来 | 江崎弘造 | (財)ファインセラミックスセンター | ||
| 第7回懇談会報告 | 沼田道正 | |||
| *国際化を阻止する新規参入阻止? | ||||
| 1989年 | ||||
| 170 | 1989.1 | SRIDでできる国際協力 | 田村修二 | |
| 最近の基金をとりまく環境について | 枦山信夫 | 海外経済協力基金 | ||
| 国際問題への道 | 上原施門 | 富士通 | ||
| *初夢 | ||||
| 171 | 1989.2 | 国際農業協力の新しい方向 | 束野宗利 | (社)食品需給研究センター |
| ODA批判論に関する雑感 −特に無償援助への批判− | 今井正幸 | 且O祐コンサルタンツ | ||
| 個人で苦労している国際協力 | 斎藤 優 | 中央大学経済学部教授 | ||
| *星際開発計画 | ||||
| 172 | 1989.3 | 地球未来悲観論 | 萩原孝一 | UNIDO 東京事務所 |
| 国際協力の場面でのコンピュータの動向 | 積田 和 | 絵AWS | ||
| 新年会報告 | 池田 誠 | |||
| *20年後の世界 | ||||
| 173 | 1989.4 | 中国短見 | 島田 仁 | (社)日本鉄鋼協会 常務理事 |
| 技術・資金協力について | 鏑木伸二 | 日本輸出入銀行 | ||
| 第8回懇談会報告 | 沼田道正 | |||
| *追体験からの予体験へ | ||||
| 174 | 1989.5 | 1989年度代表幹事に就任して | 武部 昇 | |
| 超の時代の国際開発 | 小林 一 | 地域振興整備公団 | ||
| 第16回年次総会報告 | 板谷憲次 | |||
| 175 | 1989.6 | 経営情報学部作りをめぐって | 西ヶ谷那正 | 愛知学泉大学経営学部教授 |
| 宇宙船地球号人間存在の哲学的命題と科学的アプローチ | 有原元博 | |||
| 日記より | 和田正武 | 通産省 立地指導課長 | ||
| 176 | 1989.7 | 新しいワークスタイル | 堅田憲弘 | 住信基礎研究所 |
| 私の近況−多国籍企業に働いて | 山口 真一 | エクソン化学 | ||
| 第1回懇談会報告 | 倉又 孝 | |||
| 第2回懇談会報告 | 沼田道正 | |||
| 177 | 1989.8 | 英国留学に備えて一言 | 大野祐二 | 運輸省 自動車整備課 |
| 国際援助動向昨今(その2):上 | 河野善彦 | OECD開発協力局 | ||
| *製造業からの人材離れ | ||||
| ☆SRID海外現地セミナーについて | ||||
| 178 | 1989.9 | 韓国の人 | 辻岡政男 | JICA青年海外協力隊事務局 |
| 国際援助動向昨今(その2):下 | 河野善彦 | |||
| 1989年SRID夏期シンポジウム報告 | 堅田憲弘 | |||
| ☆???? 幹事会だより | ||||
| 婦人クラブ | 高瀬悦子 | |||
| 179 | 1989.10 | 人口知能の人文科学及び社会科学への応用(1) | 上原施門 | 富士通 |
| アポロ月面着陸20周年を記念して | 有原元博 | |||
| バンコック現地セミナー報告 | 田村修二 | |||
| 180 | 1989.11 | 「本当の」課題 | 北村美都穂 | 日揮梶@嘱託 |
| 私のパソコン入門 | 水上博雅 | 中央開発 | ||
| 人口知能の人文科学及び社会科学への応用(2) | 上原施門 | |||
| 181 | 1989.12 | 改めて自由にについて−「壁」と東ベルリンの追憶− | 山岡喜久男 | 埼玉女子短期大学 学長 |
| 地球環境の再生をめざして | 間島徳冶郎 | 轄ヲr組 | ||
| 第3回懇談会報告 | 沼田道正 | |||