SRID Newsletter No.404-2 July 2009

科学技術外交について

笹川財団 大戸範雄


最近、科学技術外交という言葉が盛んに使われるようになった。2007年4月24日に総合科学技術会議より「科学技術外交の強化に向けて」という提言が出 された。本提言によれば、「今後は、科学技術を外交に生かす「科学技術外交」なる新たな視点に立ち、これを強化することにより、オープンな日本を実現しつ つ、持続可能な社会の実現に向けた世界の諸課題に積極的かつ継続的に取り組むことで、我が国のソフトパワーを高めるとともに、研究協力や技術協力を外交と 連携させることが重要である」としている。また、具体的に取り組む課題として、「アフリカを中心とした途上国との科学技術協力の強化」、「日本の優れた環 境技術の世界への発信、実証」、「世界の環境リーダーの育成」、「先端科学技術分野での協力の強化」、「科学技術協力ネットワークの強化」が挙げられた。 これを受けて、同年7月に有識者による「科学技術外交推進に関するワーキンググループ」が結成され、科学技術外交の内容について議論が始まった。

科学技術外交には、通常二つの類型がある。外交のために科学技術を使うという場合と科学技術のために外交を用いるという場合である。米国で科学技術外交と いうと後者の場合が多い。政治的にニュートラルな科学技術交流を用いて政治的関係が冷えている二国間の信頼関係を構築しようというトラック2のやり方がそ れである。現在でも米国は、北朝鮮、イラン、シリア等と科学技術交流を用いて信頼関係を構築したいと考えている。また、科学技術外交は安全保障の面でも重 要な働きをしてきた。ソビエト連邦が崩壊し、冷戦が終結した時、ソビエトの軍事施設にいた核科学者が職を失い、海外に職を求めて移住することにより核関連 技術が拡散するという危険があった。米国は民間財団を使って、ロシアの軍事施設の核科学者のロシアの民間企業への就職を斡旋することにより、核関連技術が ロシア国外に拡散するのを防ごうとした。振り返って総合科学技術会議の提言を見ると、「科学技術を外交に生かす」と言っているが、日本も科学技術を使って トラック2の交流をやろうといっているわけではない。ODAの途上国支援に日本の得意な科学技術を使おうということらしい。実際、科学技術外交の制度の一 つとして、JICAと科学技術振興機構(JST)が共同で設計した地球規模課題プロジェクトでは、日本の研究者の日本国内および海外主張時の費用をJST が負担し、海外現地での研究費用をJICAが負担することにより、地域や全地球的に重要な環境、感染症、地球温暖化のような課題について海外との共同研究 を行おうとしている。これまで、海外との科学技術分野の共同研究はマッチング・ファンドで実施されることが原則であったが、途上国が必要な費用を負担でき るケースは少なかった。新しい制度では、日本が重要と考えた課題については、日本の金で現地の研究も国内の研究も実施しようというものである。ODAの新 しいやり方ということで注目されている。

科学技術のような長期的展望を必要とする政策は、日本では、実は往々にして短期的な政治的理由によって左右されてきた。実際この時期に「科学技術外交」に ついての議論が始まったのは、2008年に日本で開催が予定されていたサミットで、科学技術による国際貢献を日本の提案の柱の一つにしようという政治的意 図があった。しかし、「科学技術外交」の議論が始まった理由はそれだけでなく、日本が国内でこの議論を行わなければならない時期に来ていたとも言える。外 交は、外務省の専管事項であるが、「科学技術外交」については何故か文科省が熱心に議論を進めてきた。それはグローバリゼーションの進展に伴い科学技術研 究者の世界的な囲い込みが始まり、日本がそれに遅れをとっているという認識が文科省にあったからである。2005年に始まる第三期科学技術基本計画策定時 でも、研究現場の国際化を推進し、日本の研究者の国際競争力を強化しようというと考えている文科省と、現状での研究継続を主張する内向きの大学側との間で 綱引きがあった。その結果、科学技術基本計画に初めて科学技術分野の国際協力についての記載がなされたものの、具体的な制度設計はなされず、国際化につい ては一向に進展しなかったのである。

20世紀における日本の科学技術政策の基本方針は、「欧米に追いつき追い越せ」であった。日本の優秀な科学技術研究者は卒業すると一度は欧米の大学や研究 機関への留学する機会が与えられ、そこで先端研究を学んできたのである。その結果、多くの優秀な日本人研究者が欧米の大学や研究機関で働き、「頭脳流出」 と嘆かれた。ところが、この頭脳流出は、1990年代後半から少なくなり、一方、日本への外国人留学生もさほど増えず、日本人研究者が外国人研究者と切磋 琢磨して研究する機会は逆に減っているのである。また、少子化により学生数そのものが減少するとともに、理科離れにより、自然科学を専攻しようという若者 の割合そのものが減っている。もはや、日本の科学技術研究を日本人だけでやる時代は終わったと文科省は考え始めている。今回の「科学技術外交」の対象が追 いつき追い越せの対象であった欧米先進国ではなく、アジアやアフリカの途上国であるのは、できればアジア、アフリカの優秀な研究者を日本に囲い込みたいと 考えているからだと思われる。しかし、10年前はこうではなかった。1993年に発刊された「技術大国・日本の未来」の中で、半導体研究で著名な元東北大 総長の西澤潤一氏は、「ある著名な大学教授が、日本人はユダヤ人にかなわない。日本の科学技術のためにユダヤ人を雇うべきだと、言っているが、しかし、そ のユダヤ人を連れきて研究させ、そこで何がしかの成果が上がったとして、果たしてそれが日本の科学技術と言えるだろうか」と述べている。当時は、日本の研 究は日本人がやるべきであるという考え方が主流だった。シンガポール国立大学のように、世界中の著名な研究者を招聘して世界一流の大学を作ろうという沖縄 科学技術大学構想が議論される現代の状況とはいかに違っていたかが分かる。

今回の科学技術外交の基本方針の一つは、互恵である。いままでのODAは、先進国日本が途上国の発展のため政府間援助を行うということであった。しかし、 科学技術外交は、途上国と共に日本が発展するという新しい認識の上に立とうとしている。科学技術外交が日本のODAにどんな新しい局面をもたらすのか注目される。